【モデルプレス=2021/05/22】AKB48が22日、神奈川・ぴあアリーナMMにて「17LIVE presents AKB48 15th Anniversary LIVE 峯岸みなみ卒業コンサート~桜の咲かない春はない~」を開催し、峯岸みなみが15年間のアイドル人生を振り返った。
アンコールの前には、峯岸のこれまでの活躍をまとめたVTRが流れ、彼女が華やかなドレスを着て再びステージに登場。
「皆さん、今日は色んな都合をつけて、色んな心配もある中で、こうやって私の卒業コンサートに足を運んでくださって、本当に本当にありがとうございます」と感謝し、「中学1年生、13歳の時にAKB48に加入して、皆さんも知っての通り、私の15年のアイドル人生はとても順風満帆とは言えませんでした」と15年間を回顧。
「皆に元気を与えたりとか、笑顔を与えたりとか、そういう存在なはずなのに、応援してくれている人を悲しませちゃったりとか傷つけちゃった時もあったなって思うし、自分のまいた種で色んな意見を浴びたりとか、そういう機会もすごくたくさんあったんですけど、でも今思うと、AKBに入って全く後悔はしていない自分がいます」と語った。
さらに「AKBに私が必要だったかはちょっと分からないけど、私の人生にはどうしてもAKBが必要だったんだなと、今日このステージに立って改めて思いました」と告白。
「結構辛いこともあったりしたのに、なんでこんなに楽しくて、こんなに幸せなことばっかり頭に浮かぶんだろうって思ったら、今日このコンサートの最中にもう答えは見えていて。私がどんなにダメでも、どんなに落ちていこうとも、『頑張ろう』って手を引っ張ってくれたたくさんのメンバーたちに支えられてきました」と涙ながらに周りのメンバーに救われてきたことを明かした。
「たくさんのメンバーの卒業の中で『自分は1人ぼっちになっちゃうんじゃないかな』って、『いつまでAKBにいていいのかな』って思うこともあった」と葛藤もあったようだが、「今こうして一緒にステージに立ってくれる現役メンバーとか、たくさんの後輩たちにもいっぱい甘えて、いっぱい助けてもらって、本当に最後まで楽しいAKB生活を送らせてもらうことが出来ました」と笑顔を見せた。
◆峯岸みなみ、“最後の1期生”としての願い
また「このドレスは、このステージは、あの時辞めてたら、絶対に私のものじゃなかったと思ったら、どんな時も私が『ここだ』という時まで、卒業を引っ張って、卒業の覚悟を決めるのをここまで待って良かったなと本当に思います」と現状に満足していることも告白。
「そして何より、この会場に来てくださったファンの皆様、そして配信でこのライブをご覧になってくださっているファンの皆様、こんな私をアイドルにしてくれて本当にありがとうございます」とファンへ感謝し、「ファンの皆様の声援、励まし、このサイリウムの光だったり、たくさんたくさん与えてもらって、1日1日アイドルの寿命を伸ばしてきました。本当にファンの皆さんのおかげで、今の私があると思っています」と語った。
さらに「ここまでたどり着くのには、私は15年かかってしまったんですけど、今在籍しているメンバー皆には、卒業する時にこんな気持ちで卒業してほしいなって本当に思います」と後輩への思いも明かし、「だからこそ、これからも、私が言うことじゃないかもしれないんですけど、このステージに残るメンバーを、AKB48を、ずっと1番のアイドルグループでいさせてください。皆さんの力が必要です。これからもAKB48をよろしくお願いします」と呼びかけた峯岸。
「今私は、今までにないくらい自分のことを好きでいられて、そんな自分を今日たくさんの人に見てもらえて、すごくすごく嬉しいなって思う」と語った一方で、「私には自分のことを好きになれなかった時期に秋元先生からもらった大切な歌があって『なんでこんなに私の気持ちが分かるんだろう』って、最初曲もらった時に本当にびっくりしちゃったぐらい、自分に当てはまる曲」と悩んでいた時期に秋元康からもらった曲に深い思い入れがあることも明かした。
最後には「今日の私が、過去の自分のことが嫌いだった自分に向けて、そして同じように悩んだり迷ったりしている、多分裏で聞いてくれてるのかなって思う後輩たちに向けて、『毎日大変だし、嫌なことばっかり、暗いことばかりで嫌になっちゃうな』って思っている皆さんのために、今日はこの曲を心を込めて歌わせていただきたいと思います」と語り、ソロ曲の「私は私」を歌い上げた。
峯岸は、⼀昨年2019年12月8日に AKB48劇場で行われた「AKB48 劇場 14 周年特別記念公演」で卒業することを発表。
2020年4月2日に卒業コンサートを行う予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延期となり開催を見合わせていた。そして、ついに卒業発表から531日目となる5月22日に卒業コンサートが開催された。
AKB48は、昨年2020年12月8日に劇場オープン15周年を迎え、今年2021年12月7日までを“AKB48 15th Anniversary Year”として活動。
23日は、昼公演で、峯岸の卒業コンサートと同じく昨年から延期となっていた『AKB48チーム8全国ツアー ~47の素敵な街へ~ ファイナル神奈川県公演「真っ青な空を見上げて」』を行う。夜公演は「AKB48単独コンサート ~好きならば好きだと⾔おう~」を開催。2020年1月21日TOKYO DOME CITY HALLでの実施以来、約1年5ヶ月振りとなる単独コンサートとなる。(modelpress編集部)
皆さん、今日は色んな都合をつけて、色んな心配もある中で、こうやって私の卒業コンサートに足を運んでくださって、本当に本当にありがとうございます。
中学1年生、13歳の時にAKB48に加入して、皆さんも知っての通り、私の15年のアイドル人生はとても順風満帆とは言えませんでした。
皆に元気を与えたりとか、笑顔を与えたりとか、そういう存在なはずなのに、応援してくれている人を悲しませちゃったりとか傷つけちゃった時もあったなって思うし、自分のまいた種で色んな意見を浴びたりとか、そういう機会もすごくたくさんあったんですけど、でも今思うと、AKBに入って全く後悔はしていない自分がいます。
AKBに私が必要だったかはちょっと分からないけど、私の人生にはどうしてもAKBが必要だったんだなと、今日このステージに立って改めて思いました。
結構辛いこともあったりしたのに、なんでこんなに楽しくて、こんなに幸せなことばっかり頭に浮かぶんだろうって思ったら、今日このコンサートの最中にもう答えは見えてて、私がどんなにダメでも、どんなに落ちていこうとも、頑張ろうって手を引っ張ってくれたたくさんのメンバーたちに支えられてきました。
もう卒業しちゃったメンバー、たくさんのメンバーの卒業の中で、自分は1人ぼっちになっちゃうんじゃないかなって、いつまでAKBにいていいのかなって思うこともあったんですけど、今こうして一緒にステージに立ってくれる現役メンバーとか、たくさんの後輩たちにもいっぱい甘えて、いっぱい助けてもらって、本当に最後まで楽しいAKB生活を送らせてもらうことが出来ました。
そして、たくさんのスタッフさんたちにもいっぱい甘やかしてもらっちゃいました。
このドレスは、このステージは、あの時辞めてたら、絶対に私のものじゃなかったと思ったら、どんな時も私がここだという時まで、卒業を引っ張って、卒業の覚悟を決めるのをここまで待って良かったなと本当に思います。
そして何より、この会場に来てくださったファンの皆様、そして配信でこのライブをご覧になってくださっているファンの皆様、こんな私をアイドルにしてくれて本当にありがとうございます。
私がここまで続けてこれたのは、ファンの皆様の声援、励まし、このサイリウムの光だったり、たくさんたくさん与えてもらって、1日1日アイドルの寿命を伸ばしてきました。
本当にファンの皆さんのおかげで、今の私があると思っています。
ここまでたどり着くのには、私は15年かかってしまったんですけど、今在籍しているメンバー皆には、卒業する時にこんな気持ちで卒業してほしいなって本当に思います。
だからこそ、これからも、私が言うことじゃないかもしれないんですけど、このステージに残るメンバーを、AKB48をずっと1番のアイドルグループでいさせてください。皆さんの力が必要です。これからもAKB48をよろしくお願いします。
今私は、今までにないくらい自分のことを好きでいられて、そんな自分を今日たくさんの人に見てもらえて、すごくすごく嬉しいなって思うんですけど、私には自分のことを好きになれなかった時期に秋元先生からもらった大切な歌があって、『なんでこんなに私の気持ちが分かるんだろう』って、最初曲もらった時に本当にびっくりしちゃったぐらい、自分に当てはまる曲なんですけど、今日の私が、過去の自分のことが嫌いだった自分に向けて、そして同じように悩んだり迷ったりしている、多分裏で聞いてくれてるのかなって思う後輩たちに向けて、『毎日大変だし、嫌なことばっかり、暗いことばかりで嫌になっちゃうな』って思っている皆さんのために、今日はこの曲を心を込めて歌わせていただきたいと思います。
聴いてください。「私は私」。
「レッスンに行きたくない…」AKB峯岸みなみ 卒コンで恐れていたメンバーを告白(東スポWeb) – Yahoo!ニュース – Yahoo!ニュース |
峯岸 みなみ(みねぎし みなみ、1992年〈平成4年〉11月15日 – )は、日本のアイドル。女性アイドルグループ・AKB48チームKおよび同グループの派生ユニット・ノースリーブスのメンバー。東京都板橋区高島平出身。プロダクション尾木(業務提携:Mama&Son)所属。 2002年 3月、小学生時代に『ハロー
67キロバイト (8,405 語) – 2021年5月21日 (金) 00:50
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